2011年3月29日火曜日

津波

撮影日:2011.03.28(月)
名護市役所、名護市消防本部、名護市民会館等、多くの公的機関は名護湾沿いに集中している。
















今回の地震で起きた大津波が名護に押し寄せたらどうなるか、多くの市民は考えただろう。
間違いなく、市の中心となる建物が真っ先に波に飲み込まれてしまう。
海に面した集落が多い沖縄だが、防災意識は低い。
実際、(私自身も)津波警報の知らせを知っても映像を見るまではどこかのん気だった。

しかし60代の人に聞くと、名護町は毎年のように水害があったようだ。
1960年、チリ地震によって発生したチリ津波の被害も受けている。

次回は、チリ津波の被害について触れてみようと思う。

2011年3月21日月曜日

組踊「矢蔵の比屋」2

撮影日:2011.03.20(日)

追い剥ぎに襲われ「乙樽」絶対絶命。
















追い剥ぎに着物を奪われ、最後には殺されてしまいます。
母「乙樽」の死を知った「虎千代」は大変悲しみます。
















その後「虎千代」は剣術を習い、母の仇である追い剥ぎを討ちました。
その後、「矢蔵の比屋」に殺された「津堅田の按司」の子を訪ね、一緒に「矢蔵の比屋」を討ちにいきます。
















家来同士も戦います。
















「虎千代」と「矢蔵の比屋」の戦い。
















終に決着。「矢蔵の比屋」は捕らえられ、亡き2人の按司の墓前で血祭をあげる事にしました。
めでたしめでたし。
















あらすじのコピーが配られていたので内容もわかり、楽しめました(方言の台詞はわからなかったのですが)。

出演者の皆さん、お疲れ様でした。
















最後に旗頭登場。豊年祭では字内を練り歩く道ジュネーの時に登場します。
























それを見守る「乙樽」。
今日は「乙樽」の演技と台詞の声にすっかり魅了されました。

















名護市営市場中庭

大きな地図で見る

組踊「矢蔵の比屋」1

撮影日:2011.03.20(日)

「第一回あけみおフェスタ 2011 躍り出る名護」が名護市営市場で開催されています。
3月6日から土日と祝祭日に、名護の村踊りが集結するという名護の人にとっては何とも嬉しい催し。

なぜ嬉しいかというとですね、
村踊りは通常各字の豊年祭で披露されます。同じ日にする地区も多く、大抵出演者はもちろん地域の人は他字の踊りを見る機会が滅多に無いという理由からです。

今日は屋部の八月踊りの演目、「手間戸」という踊りと組踊「矢蔵の比屋」が紹介されました。

















「矢蔵の比屋」は天下を取るために邪魔な津堅田の按司と棚原の按司を殺した。しかし、津堅田の子と棚原の妻「乙樽」とその子「虎千代」を取り逃がしてしまう。

隠れていた「乙樽」と虎千代が捕らえれ、「矢蔵の比屋」が「乙樽」に妻になれと迫る場面。右の派手な着物を着ているのが「矢蔵の比屋」。
















泣く泣く妻になる約束をする「乙樽」。悲しげな表情が美しい。
「虎千代」は寺に小僧として預けられる。
















「乙樽」は「矢蔵の比屋」のもとを抜け出し、「虎千代」に会いに行きます。
ここは宿でしょうか、民家でしょうか?「乙樽」が休んでいる最中、何と!
















追い剥ぎが現れます。顔に描かれた髭が怖いっ。
















どうなる乙樽。パート2へ続く



大きな地図で見る

園田さんの大根汁

撮影日:2011.3.17(木)

「みんなで学ぼう」の報告会終了後、懇親会が開かれました。
この会のために、名護博物館の園田さんは朝から大根汁やおにぎり、ニガナの白和えを準備してくれたのです。美味しいと評判だったので、ここで紹介します。

大根汁です。黄色いニンジンが鮮やかで、食欲をそそります。
園田さんの予定では残った汁は明日の職員のお昼になる予定でしたが、ほとんどなくなりました。それほど美味しかったんです。
















ニガナ(和名:ほそばわだん)を豆腐で和えたものです。
















刺身の味噌和えです。これは市場の魚屋で買ったもの(?)。名護で味噌和えを嫌いな人は見たことがないというほど、よく出る気がします。
















ご馳走さまでした。私は昆布を巻くのとにんじんを切ることしか手伝えませんでした。
園田さん、博物館の方々、ありがとうございます。おかげで楽しい懇親会でした。

みんなで学ぼう 報告会

撮影日:2011.03.17(木)

平成21・22年度の「みんなで学ぼう名護・やんばる講座」の事業終了報告会が、名護博物館で行われました。

2年にまたがる本事業は、名護博物館の職員を含めたくさんの方々の協力によって終えることができました。
















宜野座立博物館の田里一寿さん。宜野座村を案内してもらいました。
















宇茂佐の字誌編集委員長の宮城守仁さんにも感想を述べていただきました。
写真展の期間はずっと笑顔でした。
























報告終了後、実行委員で座談会を行いました。
















◇一般の人からは「博物館=暗い」というイメージ
◇名護市民の多くは、名護博物館に来館することがない。
◇学校教育との連携
◇博物館により多くの人が来るためにはどうすればよいか。
等、会場からも多くの意見が寄せられました。
もちろん博物館職員もこれらの応えられない事情があります。
新館建設に向けて取り組むべき問題が多い事に気づかされた報告会でした。

東北地方太平洋沖地震

 3月11日。東北から遠く離れた沖縄ですが、津波が街の港に徐々に迫る映像を観てただ事ではないと感じました。4時には津波警報のため、早々に帰宅。家で見た津波に飲み込まれる街の光景。自然災害の怖ろしさに圧倒され、ただただ眺めている事しができませんでした。

 日を追うごとに明らかになっていく被害状況。広範囲に及ぶ被災地と被害の大きさに、未だ全体を把握することは出来ていません。

 海に囲まれた沖縄で、海に面した場所に多くの市民が住む名護市にとっても人事ではありません。 

 名護市では消防隊員及び水道業務の職員を現地に派遣しています。保健士の派遣についても準備を進めているようです。また、友好都市の岩手県八幡平市と群馬県館林市への支援を決定しています。多くの名護市民は直接現地へ行って支援する事は出来ませんが、義援金を出す事で復興を支援していきたいと思っています。

 名護博物館では、下のように甕で義援金を募っています。
















「みんなで学ぼう」事業報告会で。
















被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、亡くなられた方々のご冥福をお祈りしています。

2011年3月1日火曜日

宇茂佐から見る嘉津宇岳

撮影日:2010.12.05(日)

「嘉津宇岳」名護人に親しまれている山です。

それは名護市の小中高の校歌にもたびたび登場します。
「嘉津宇の嶺と並び立つ~」(大北小)
「そそり立ちたる嘉津宇岳~」(名護中)
「朝日に映ゆる嘉津宇岳~」(名護高)
私の出身高には全て入ってました。

では、宇茂佐から見た嘉津宇岳をお楽しみください。


















ちょっと分かりづらいですが、
左から「三角山」、「安和岳」(三角山後方)、「八重岳」(一番奥)、「古巣岳」、「嘉津宇岳」(古巣岳の後方)
といったように並んでいます。






大きな地図で見る

宇茂佐の米は美味しくなかった!?

撮影日:2010.12.05(日)

宇茂佐の振興住宅地や新しい店舗が並ぶ場所は、かつて水田が広がっていた。
今広い道路や新しいビルの合間を歩いていると、その面影は無い。

そんな場所に「ワク」と呼ばれる湧水のため池がいまだ残されている。
















フェンスに囲まれた「ワク」。
この湧水は塩分を含んでいたため、美味しい米がなかなか出来なかったという。

埋め立てると宇茂佐に大変な事が起きると言われたので、整備して残されている。
かつては7つのワクがあった。
石碑には「うんさ大滝」と記されている。


大きな地図で見る

3体のシーサー、宇茂佐をまもる。

撮影日:2010.12.05(日)

宇茂佐集落の東と西のはずれには、集落を災いから護るシーサーがいる。
















↑東(アガリ)のシーサーです。
少しずつ東に移動しながら、現在の場所になったという。


















↑西(イリ)のシーサーです。
ここには2体、檻のような建物の中にいます。
かつては、1体だったらしい。


中南部ではよく見るが、名護市で集落のシーサーがあるという話はあまり聞いた事がなかった。
ひっそりした場所で静かに佇んでいるためか、宇茂佐の人もなかなか目にする機会がない。
見えないところで見守られていたと思うと、足元に何か力を感じる気がした。


大きな地図で見る